梅田から阪急線を乗り継いで箕面駅で降りると、改札口の向こうから澄んだ風が流れてきた。東京では、9月に入って秋が一瞬その裾口をちらつかせたものの、またすぐに夏の暑さが戻ってきている。大阪も例に漏れず、新大阪から御堂筋線に乗り、梅田の地下通路に翻弄されている間もじわじわと首筋を汗が流れ、シャツの襟を着々と不快に湿らせていた。
それが一転、箕面には冷涼な風が流れているのだから、同じ府内でもこうも違うものかと驚いた。その風を辿るようにして改札口を出ると、視線の遠くでは青々とした稜線が空を自在に区画している。あれがきっと箕面山なのだろう。その、下三分の一ほどを深緑に塗られた空を見上げながら坂道をのぼると、すぐに久國紅仙堂があった。
創業は1940年。このころの日本は、第二次近衛内閣が日独伊三国同盟を結び、既成政党は解散して大政翼賛会が成立、そして翌年には真珠湾攻撃という、戦争の足音どころか明瞭な息遣いまで聞こえているような時期だった。箕面が北部の景勝地とはいえ、大阪という第二都市全体でいえば戦争と無関係などでは決してなく、そのような環境の中で創業した伝統銘菓の店というのは、それ以前から続く老舗とは少し違った意義を持っているような気がする。
老舗とは変化を嫌うものだという、漠然としたイメージがあった。恐るべき目まぐるしさで多くのことが変容する現代、伝統という言葉の価値はより重く、また遠くなっていく。そして未曾有の疫災が世界を覆い、出口の見えない経済状況の中で変化の道筋もつけられず、結果、‶変わらないことの誇り″だけを玉のように抱きながら歴史の水底に沈まざるを得なくなった老舗も、決して少なくないだろう。事実、僕は今回の取材における社会的文脈の一つとして、コロナ禍による観光産業への打撃から、観光地の土産物を売る伝統銘菓が深刻な影響を受け、その打開策の一つとしてのコラボ企画であり、また他にどのような施策を持っているか、というような質問の流れを組み立てていた。
しかし、実際に久國節子さん、香保里さんのお話を伺って、それが大いに間違っていたと分かった。
詳しいことはぜひインタビュー記事を呼んで頂きたいが、味やパッケージをはじめ時代やニーズに合わせて変化することを恐れず、むしろ楽しみながら工夫を凝らす姿勢が、結果的に伝統を守ることに繋がっている。ばかりか、その姿勢を創業以来貫いているからこそ、コロナという特異な状況を迎えても、地域の人々や一度その味を知った人々の需要をきちんと取り込み続けている。もちろん、客足は減ったに違いないし、対応に苦慮することもあるだろう。けれど、この未曾有の状況に対して右往左往せず、とにかく前を向いて今日まで続けてきたことを明日もやる。柔軟さの中に見えるその揺るぎない自信こそが、80年続く伝統銘菓の誇りに他ならない。江戸以来から続くような老舗も数多いが、戦争をまたぐ混乱期に看板を掲げた久國紅仙堂の根底に流れる挑戦の精神が、年数の多寡以上にその自信を裏付けている。
伝統は続かなければ意味がない、だから私たちは変化を恐れない。それに、美味しいものさえ作ればみなさん喜んでくださるから。北摂を旋回する爽やかな風のように、節子さんと香保里さんはそうさらりと言った。伝統銘菓の老舗にそれぞれ嫁いできたお二人が、伝統への強い想いで繋がっている。
箕面山へ向かう坂道にひるがえる久國紅仙堂の幟。その鮮やな紅色は、血の絆よりも濃く、やがて山を染める紅葉よりも深い。店を辞し、坂を下る。幟の奥から風に乗って漂うもみじを揚げる香りがほんのわずか、深紅に色づいて見えたような気がしたが、しかし振り仰いだ晩夏の空はどこまでも青い。
プロフィール:
ベセベジェ@dantalionperfu6
香水好きの会社員。LIBERTAのコラムを担当。日本未上陸の香水からヴィンテージ品にも精通し、コレクションは200本を超える。好きな香料はリコリス、バニラ、サンダルウッド。