関ヶ原の戦いと聞くといつも思い出す話がある。やや寓話的だが、関ヶ原で奮戦した徳川四天王・井伊直正から数えて16代目の当主であり、30年にわたって彦根市長を務められた井伊直愛氏が幼少のころ、祖父である井伊直憲伯爵に連れられて汽車に乗せられ、岐阜県のその古戦場にさしかかった時に「この野をよく見ろ。ここでわれらのご先祖が死を賭して戦ってくれたからお前は今学校に行き、三度の飯が食えるのだ。」と言われ、氏はそれを終生忘れなかったという。筆者は武門の出でもないから歴史的感慨以上の目をもって古戦場を眺めることはないが、戦に限らずとも歴史のある一場面が質量を伴った鎖となって一部の人々を縛り続けることがあるようだ。
伽羅とは、沈香という香木の中でもベトナムの一部でのみ産する特に良質のものを指す。日本における沈香についての最も古い記述は『日本書紀』で、淡路島に漂着した木を火にくべたところ良い香りがしたのでその木を朝廷に献上したという。以来、この木の放つ芳香は歴史の中に漂っている。正倉院には黄熟香という長さ156cm、重さ11.6kgという巨大な沈香が収められており、蘭奢待の名でも知られるこの巨木を歴世の覇者が切り取ったという話は有名だ。徳川家康が東南アジアに朱印船をはしらせたのも伽羅の買い付けが目的と言われているし、伽羅を用いる香道を家職とする三条西家は公家文化の継承者として維新後も明治帝に重んじられ現在に至る。
筆者は以前、機会を得て京都のさる門跡寺院で300年来の伽羅を嗅がせてもらったのだが、今日香木に思いを致しながらここまで書いていてもなおその香りを言葉にできないでいる。一方、幸か不幸か筆舌に尽くしがたいほどの香水にはまだ出会えていないが、しかし300年は待っていられない。