なぜか、といえばたぶんそれは思い出と深く結びついているからだろう。子どもの頃、母が作ってくれた料理にこの工程はよく登場した。学校から帰るとキッチンから香ばしいバターの香りがして、空かせて帰った腹をいっそう心許なくさせたものだ。フライパンを覗くと、あめ色になった玉ねぎがバターを纏ってきらきら輝きながら、これから完成する素晴らしい何かの礎になる準備をしている。今でもこの香りをかぐと、毎日全力で腹を空かせていた子ども時代とキッチンに立つ母の姿が思い浮かぶし、これら光景を思い起こすとどこからかあめ色の玉ねぎの香りがしてくる。記憶と香りは双方向にアクセスし合っている。
あるいは、サンダルウッドの香りをかいだ時にお寺を想像する人、森を想像する人、もしくはおばあちゃんの部屋を思い出す人もいる。香水は緻密で厳然とした化学式の集合体であってそこに曖昧さは存在しないはずなのに、触れる人の感性や記憶に応じて自在に変化することがある。香水の醍醐味のひとつと言っていい。
少し話がそれたが、上に書いたようなことを踏まえると、サンダルウッドから森を感じたりお寺や祖父母の家を思い出したりするというのは実は理に適っているということになる。
香料そのものが持つ多様な用途や成り立ちが、この美しき揺らぎを生んでいるのだ。調香や香料と言われると専門的な化学領域のように聞こえるかもしれないが、わたしたちの日常や思い出の中で時に鮮やかに、時に穏やかによみがえるその香りをひと瓶に閉じ込めることもまた、調香と呼ぶのかもしれない。