重要なのは、筆者は実は卵が大嫌いということなのだが、好き嫌いを問わず出来事そのものを文章にしてみることで、自分の体験をほんの少し特別なものとして残すことができる。文章を書くということは、大げさに言えば叡智を蓄積することだ。感情も、国籍も、時空をも超えてそのような叡智にアクセスするための鍵はただ一つ、「読む」ということに他ならない。さて、香水の話である。
未試香や日本にない香りはもちろん、現行品でも見る。どころか、所持している香りのレビューすら見ることもある。なぜなら、そこにはただ香料を表すカタカナが並ぶ以上の価値ある文章——その香りに触れた人それぞれの世界が広がっている。銀河が広がっているからだ。人間がその一生で経験できることの総数は、膨大であるにせよ、しかし有限であるだろう。自然、持てる香水の数も、肌に乗せる香水の数もきっと算出可能な程度であるに違いない。ということは、その香りを試したときに頭の中に浮かぶ情景や抱く感想というのは、自分自身の持ちうる記憶や思い出の総量の中でまかなわれるものでしかない。経験の多寡を優劣するものではないが、たとえばあるバニラが使われた香水を試したとき、筆者は自分が想像していたあの甘い香りを感じないことに戸惑った。しかし一緒にいた友人が、ああ、これは乾燥して間もないバニラビーンズの香りだね、と言った。日本でアイスクリームやバニラエッセンスにしか触れたことのない筆者と、南米で黒々と乾燥した種子鞘を手に取ったことがある友人との間には、渡るべき太平洋のその面積以上の隔たりがある。