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関ヶ原2020

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2020.09.19

先日Twitterで“関ヶ原2020”というトピックが目に入った。慶長5年9月15日に関ヶ原の戦いが起こったということで、各武将に扮したアカウント(無粋な表現かもしれない)がタイムラインを盛り上げたらしい。
関ヶ原の戦いと聞くといつも思い出す話がある。やや寓話的だが、関ヶ原で奮戦した徳川四天王・井伊直正から数えて16代目の当主であり、30年にわたって彦根市長を務められた井伊直愛氏が幼少のころ、祖父である井伊直憲伯爵に連れられて汽車に乗せられ、岐阜県のその古戦場にさしかかった時に「この野をよく見ろ。ここでわれらのご先祖が死を賭して戦ってくれたからお前は今学校に行き、三度の飯が食えるのだ。」と言われ、氏はそれを終生忘れなかったという。筆者は武門の出でもないから歴史的感慨以上の目をもって古戦場を眺めることはないが、戦に限らずとも歴史のある一場面が質量を伴った鎖となって一部の人々を縛り続けることがあるようだ。
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香りの話をしなければならない。その井伊直正の子、直孝の代になって大坂夏の陣が起こった。「井伊の赤備え」で名高いその軍は、豊臣方の木村長門守重成率いる軍と衝突し、激闘の末家臣の一人が重成を討ち取った。この、木村重成に逸話がある。新婚の妻である青柳が出陣の際、兜の中に伽羅の香をたきしめて渡したという。ために、その重成の首級が家康のもとに届いたとき、血腥いはずの首が得も言われぬ香りを放ち、そのかぐわしさは『伽羅のにほひことごとしくあたりに満つ』と書き残されたほどである。どうやらこの話の本意は妻の覚悟にあるようなのだが、独身の愛香家としてはこの伽羅の香りについて想像を掻き立てられるばかりである。土埃と血と汗でむせかえるような戦場の中にあって、静謐な伽羅の芳香はよりいっそう崇高で激烈な印象を残したにちがいない。
伽羅とは、沈香という香木の中でもベトナムの一部でのみ産する特に良質のものを指す。日本における沈香についての最も古い記述は『日本書紀』で、淡路島に漂着した木を火にくべたところ良い香りがしたのでその木を朝廷に献上したという。以来、この木の放つ芳香は歴史の中に漂っている。正倉院には黄熟香という長さ156cm、重さ11.6kgという巨大な沈香が収められており、蘭奢待の名でも知られるこの巨木を歴世の覇者が切り取ったという話は有名だ。徳川家康が東南アジアに朱印船をはしらせたのも伽羅の買い付けが目的と言われているし、伽羅を用いる香道を家職とする三条西家は公家文化の継承者として維新後も明治帝に重んじられ現在に至る。
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香水の世界では中東マーケットの盛り上がりもあってウードというアラビア語の呼び名で登場することが多いのだが、その実天然のウードを用いた香水はほとんど無いという。いわんや伽羅においてをや、である。
筆者は以前、機会を得て京都のさる門跡寺院で300年来の伽羅を嗅がせてもらったのだが、今日香木に思いを致しながらここまで書いていてもなおその香りを言葉にできないでいる。一方、幸か不幸か筆舌に尽くしがたいほどの香水にはまだ出会えていないが、しかし300年は待っていられない。