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ダチョウの卵

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2020.08.24

しかし暑い。今この文章を打っているパソコンのどこか平たい面で目玉焼きが焼けるくらいに暑い。そう、目玉焼きと言えば、以前ダチョウの卵の目玉焼きを食べたことがある。途方もない大きさで、割って出すとホットプレートがその卵一つ分の中身でいっぱいになる。そんな大きさでは適当な焼き加減など分かるはずもなく、思うタイミングで黄身のところをパンですくって食べた。味は思いのほか淡白だが質感がもったりとしていて、口の中で卵黄の風味が緩やかに広がった。

重要なのは、筆者は実は卵が大嫌いということなのだが、好き嫌いを問わず出来事そのものを文章にしてみることで、自分の体験をほんの少し特別なものとして残すことができる。文章を書くということは、大げさに言えば叡智を蓄積することだ。感情も、国籍も、時空をも超えてそのような叡智にアクセスするための鍵はただ一つ、「読む」ということに他ならない。さて、香水の話である。
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検索エンジンを開き、そこに、ある香水の名前を打てばよほどマニアックな1本でない限り膨大な量のページが現れることだろう。筆者も気になる香水があるとき、まずそれをインターネットで検索することが多い。ひとえに他人のレビューが見たいからだ。
未試香や日本にない香りはもちろん、現行品でも見る。どころか、所持している香りのレビューすら見ることもある。なぜなら、そこにはただ香料を表すカタカナが並ぶ以上の価値ある文章——その香りに触れた人それぞれの世界が広がっている。銀河が広がっているからだ。人間がその一生で経験できることの総数は、膨大であるにせよ、しかし有限であるだろう。自然、持てる香水の数も、肌に乗せる香水の数もきっと算出可能な程度であるに違いない。ということは、その香りを試したときに頭の中に浮かぶ情景や抱く感想というのは、自分自身の持ちうる記憶や思い出の総量の中でまかなわれるものでしかない。経験の多寡を優劣するものではないが、たとえばあるバニラが使われた香水を試したとき、筆者は自分が想像していたあの甘い香りを感じないことに戸惑った。しかし一緒にいた友人が、ああ、これは乾燥して間もないバニラビーンズの香りだね、と言った。日本でアイスクリームやバニラエッセンスにしか触れたことのない筆者と、南米で黒々と乾燥した種子鞘を手に取ったことがある友人との間には、渡るべき太平洋のその面積以上の隔たりがある。
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けれど、南米でバニラに触れなかった人生を悲しむ必要はない。その香水の名を検索すれば、きっと素晴らしき先達が 共通しうる香りの感想にとどまらず、自分には思いもよらなかったような香りの感じ方や想いを書いてくれているはずだ。たとえ一文であっても、それは香水 の世界をかたちづくる叡智の1ピースだ。決して目に見えない香りを、言葉という容器の中に閉じ込める。その美しいガラス瓶が並んでいると思うと、情報が無機質にあふれかえる電子の海の中で香水レビューの多彩さはひときわ煌めいて見える。