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2020.08.14

誰かのために

正直な告白をすると、筆者は最近香水について考える時間が以前に比べて少なくなってしまった。以前、というのはもちろんコロナ禍の前のことを指す。朝、出勤ギリギリの時間の中で朝食のパンを焼くか香水を選ぶかとなったら迷わず後者を選んでいたし、出張前日はどの香りをアトマイザーに詰めるかに多くの時間を割いた。そういった気持ちが、少なくなった。分かりやすく原因を挙げるなら外出自粛やテレワークの普及で外に出なくなったからだろうし、外に出なくなったということは誰かに会わなくなったということでもある。しかし、と思う。自分は「誰か」のために香水を纏っていたのだろうか。
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このコロナ禍で生活は一変した。自分自身についてはもちろん、他人との関わり方も大きく変わったと言っていい。筆者は常々、香水は生活に根差したものでありたいと言っているから、これだけ多くのことが変われば香水に対する考えが変化したのも道理である。ただ、その変化の結果、先に書いたように香水に対する興味が薄れてしまった。人に会わなくなったから香水への興味が薄れたと思わざるを得ない。たしかに、ふだん特定の誰かに香らせたいわけではなくても、香水を選ぶとき頭の中には誰に会うか・どこへ行くかということがまず浮かぶ。自分を相手にどう見せたいかに、香水は大きく関わっていたのだ。しかも、こういったTPOを意識した香水の使い方というのを筆者は無意識のうちに肯定していた。いや、こだわってしまっていたのかもしれない。それこそが日常的であり、生活そのものだと思っていたからだ。
しかし、そういった「対他人」の機会の消失が香水そのものへの興味を減衰させたということは、自分自身の生活の一部たれかしと思っていた香水はたぶんに他人の目(鼻というべきか)を必要としていたということに気付かされた。はたしてそれを、自らの生活に根差したと呼んでいいだろうか。嗜好品から脱却しようと思うあまり、香水に対してわがままな部分を必要以上に追いやってしまっていたようだ。
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他人というファクターも確かに大切だが、衣服やアクセサリーと違って形がないからこその自由自在な香水の楽しみ方を、人との繋がりを一時的に失ってしまった生活の中で再確認させられたような気がする。そんなことを考えていたら、少し楽しみになってきた。いつかまた人々の生活が日常を取り戻して、友人や同僚恋人と気兼ねなく会うとき、自分はどんな香りを纏うだろう。まったく新しい香りでイメージチェンジするのも悪くない。あるいは、君の香り懐かしいね、なんて言ってもらえたら思わず泣いてしまうかもしれない。部屋の中でひとり香水棚に目を遣ると、そんな情景が浮かぶ。ひとつ、前言を修正しなければならない。筆者は香水について考える時間が、以前に比べてずっと増えた。

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